【原色・単色図版】
芦屋 野馬 五匹駒
芦屋 春日野
芦屋 霰花筏
芦屋 高砂
芦屋 千鳥小丸
芦屋 松竹鶴亀文
芦屋 竹生島
芦屋 濡烏
芦屋 住吉
芦屋 常楽我浄文字入
芦屋 雪笹
芦屋 園城寺霰
芦屋 梅花文
芦屋 松梅文霰重文
芦屋 宮島
芦屋 油屋
芦屋 大講堂
芦屋 四方
芦屋 平蜘蛛
芦屋 浜松地文
芦屋 香炉
芦屋 糸目
芦屋 亀甲文
芦屋 牡丹獅子文
芦屋 末の松山 重要文化財
天命 責紐
天命 望月
天命 残月
天命 砕銭
天命 小姫
天命 姥口
天命 梶
天命 粒桐
天命 鍋
天命 霰乙御前
天命 常張亀甲文
天命 提灯
天命 唐犬香炉
天命 三足
天命 筋
桜川 道仁
九輪 道仁
東陽坊 与次郎
小尻張 与次郎
国師 与次郎
霰百会丸 与次郎
阿弥陀堂 与次郎
竜宝山 与次郎
尾上 大西定林
安楽庵 名越弥右衛門(三昌)
釜の形 図解
総説 蔵田蔵
参考文献 『名物釜所持名寄』西村道治著、『名物釜記』閑市庵一常著、『松屋名物集』、『玩貨名物記』、『古今名物類聚(釜)』、『新撰釜師系譜』東京鋳金会蔵版 大正三年十二月発行より、掲載釜・釜師系譜図など紹介
釜師系譜
図版解説 蔵田蔵・中野政樹
【総説より 一部紹介】
茶の湯釜が茶の湯の席において重要な役目を果していることは周知のことである。たとえば茶碗であれば、どこまでも茶碗そのもので、その形姿、釉薬、焼きぐあいが中心に語られるのであるが、茶の湯釜においては、主体の釜だけでなく、鐶付、鐶、蓋、釜に関連のある釣鎖、風炉等の付属のものがあって、それらの説明も加えないと、釜の本態がわからない、という面倒なことがつき廻っている・また茶の湯釜は、茶碗、茶入等にくらべて研究がおくれていると思われる。真形釜という釜が忽然として出現することも、説明が難しいのである。
喫茶のことも、すでに平安時代初期に行われ、茶園もあったと伝えられるが、これは伝のつく話である。事の真偽については論じないが、いずれにせよ鎌倉時代にはいって漸く喫茶のことがはじまったことは確かである。
この喫茶のための湯をわかす釜が茶の湯釜であり、これが茶の湯の席に必須の道具になったのであるが、初期の釜がどんなものであったか、立証するものは史料的には弱い。釜の形式、鋳出文様、その他絵巻物に見る風俗画等によって様式的に推定する以外に方法がない。釜の製作者が他の梵鐘等を鋳造した記録・銘文を参考にしたとしても他の工芸品にくらべると史料的に不足の部分が大きく、また伝来のおもしの強い世界であるために、多少の疑問に思われることも訂正し難いということもある。(以下略)
茶の湯釜の形態と名称
茶の湯釜の形態は、その歴史を見ても千差万別である。柄杓を中に入れて湯をくみとるため、くみとりやすくするためにも、あまり突飛な形姿の釜は使用できないし、使用しにくくもあるので、釜の口の形についても、釜の深さについても相当の制限がある。この限られた範囲のなかで、茶の湯釜の形式が生れる。釜の名称は、主に次の三通りに分類することができる。
ところで、『茶具備討集』『津田宗及茶湯日記』『北野大茶湯之記』『茶器名物集』『茶道筌蹄』等には、
とくにさまざまな名称があかっている。多くの釜の名称と、由来や形姿等を述べ、その記載が最も詳細をきわめているので、これを中心にして、他の文献
も参照しながら、名称を分類してみたい(以下『筌蹄』と略す)。
鶴首 首の長い形から来る。
のんどり 漁猟具の形からか。釜の胴の下部が毛切のあたりにとび出した形が箆被に似るところからこの名があるか。風炉にかけてその口を切り合わせるところより来る。『筌蹄』には「古作に多し道安好み、与二郎作にて輪口と姥口」とある。『筌蹄』には「天猫よりあり」とある。
十王口 十王の冠に似て、輪口の上の少し開いたものか。
繰口 口の外側面が繰り取った形に似て、くびれて、外側に曲線をつくる。『筌蹄』に「利休形、与二郎作、輪口、唐金蓋、鬼面鐶付」とある。
尻張 一名、障泥釜。
日の丸 自然と丸くなる。
(ほか)
芦屋釡 `
芦屋釜を製作した芦屋は、筑前国(福岡県)遠賀郡芦屋の地で、遠賀川の河口にあり、現在も金屋町の名がのこっている。しかし文献の上にもあまり取り上げられることなく、諸説がある。
江戸時代の文献でよく引用されるものは、が西村道冶の『釜師之由緒』で、その写本には、元禄十三年(一七〇〇)の奥書がある。(以下略)
天命釜
天命釜は天明釜とも、また天猫釜とも書く(天命が天明と変ったのは寛永十年〈一六三三〉といわれている。西村道冶の『釜師之由緒』には、(中略) 天命釜の起源については、芦屋釜と違って、伝説らしいがかなり詳しい歴史があり、その発祥の地は「河内国丹南郡狭山郷日置庄」と称される。
この地方は古墳時代より栄えた土地であり、那須郡から砂金が出たり、伊吹山の地名があって、採鉱冶金の盛んな土地であったことが推定される。その動態がまことにきびきびとしていて、作者の並々ならぬ腕前を示している。また野のかなたには、柔らかい箆で遠山をえがいている。
釜は真形釜であるが、底が変って織部底になっている。
鐶付は肩よりやや下にあるが、その鬼面鐶付は特に大ぶりで、まことに堂々としている。
替蓋は唐金、鉄の共蓋もあるが、同時代のものか疑問がある。春日野をいく鹿の図様は、一面に牡鹿、他面に牝鹿を描いている。他面には牡鹿が右向きに牝鹿の方に近づいていく気配を示す。肩に縁をつけ、上は繰口につくり、鬼面の鐶付は肩よりやや下にあって、大ぶりで力強い。共蓋一枚、替蓋二枚あって、共蓋は鉄製、木瓜形の落入の形につくる。
ふるくから千利休所持と伝えられ、利休愛用後、万里小路家蔵になるという。利休、物好きに破って、辻与次郎が鋳掛けをするという・室町時代初期の作か。鐶付は芦屋釜には珍しく遠山になる。蓋は共蓋、薄笠に折枝つまみで、替蓋は唐金製。「濡れがらす」の名は、この図様から来たものといわれる。しかし書風から見ると近衛三藐院とも見られる。また口作りは立ち上がりが割合に垂直に近く、繰口というより甑口に近いものになる。サイズ…幅40cm 高さ24cm。■富士釜■人間国宝 釜師 高橋敬典・浜松地紋・鉄釜・茶釜・釜環・合わせ箱・茶道具・煎茶道具・f890。茶道具 風炉 朝鮮 徳色 作。【扇屋】菊地正直「独楽釜 海老鐶付」共箱 幅 約27.5cm 高さ 約18cm 鉄瓶 茶釜 茶道具 釜師。《R》茶道具 雲龍地紋 筒釜 在銘 共布 共箱 (Z2)。茶道具 名工 伝統工芸士 般若勘渓 釜師 菊池政光 唐銅鬼面風炉 鉄釜 コレクション 伝統 工芸品 詳細不明 現状品。筋入平丸釜(鐶付 美品) 増山馨鉄造213vhca。【骨董・茶道具】★九代 大西浄元造 鵬雲斎 書付・花押★★萬代屋釜 bn044tl.8.。寒雉作 平蜘蛛形 詞地紋 釜 即中斎箱付き。花月釜 晴光作 鉄製。【骨董・茶道具】★古い 鉄製★★霰釜 ※水漏れ有 fi036vb。釜師 高橋敬典作 尾張釜 茶釜 茶道具 人間国宝。[即決有]茶道具 信楽焼 野々田風炉型電熱器 茶釜 釜環。◆茶道具◆釜師作 渦霰紋 尻張釜 金象嵌釜環◆木箱。野々田商店 風炉型 電熱器 【J402-191#120】。B09228 14代大西清右衛門(浄中) 裏敷重 淡々斎箱:真作。佐藤清光造 住吉地紋 真形釜 茶釜 鉄釜 鉄器 鉄製 金属工芸 工芸 共箱 煎茶道具 茶道具 煎茶器 時代 骨董 古美術品。■ 真形釜(銀摘み・浜松地紋)「「横倉嘉山」(共箱)<略歴紙・釜鐶付き>★ 風炉用 横倉 嘉山 喜山 茶釜 鉄釜 茶道具。AQ0024【茶道具】初代畠春斎 棗型 亀甲文釜 銅蓋★釜鐶 共裂 共箱付き。道安風炉 唐銅風炉 唐銅製 宣徳風炉 宣徳製 銅製 灰匙つき 真黒塗り敷板 茶道具 風炉釜 使用頻度少 茶席 茶会。【扇屋】菊地政光「糸目竹文 筒釜」高さ 約19.5cm 幅 約18.5cm 鉄瓶 茶釜 茶道具 釜師。梅地紋立口丸釜(鐶付)釜師 須藤浄義作139vfbc。【都屋】15 川邊庄造 作「筒四方釜」銀摘み 共箱 高さ 約22.5cm 幅 約17cm 鉄瓶 茶釜 茶道具 釜師。時代もの 茶道具 菊割風炉 菊割 風炉 眉風炉 風炉釜 宣徳製 唐銅製 宣徳風炉 唐銅風炉 茶釜 銅製 黄銅 真鍮製。《R》茶道具 四方釜 鐶付 木箱 時代(231019え6)。■ 和銑 霰釜「初代宮崎寒雉・大西清右衛門13代 浄長極め」(時代共箱・極め札)★ 江戸時代前期 炉釜 茶釜 茶道具 茶之湯釜。遠州好 瓢箪釜 釜師隆元作 茶道千家遠州流石州流宗和流儀有楽流藪内流庸軒流。2 中古品 筒釜 曽春斎作 風炉用釜 吊釜 鉄釜 茶釜 茶道具共箱付き。r37 風炉釜 【阿古陀釜】十二代 宮崎寒雉 釜師 茶道具。●e2716 今日庵 吊り釜 茶釜 紙箱入り 吊釜 茶道具。茶道具 釜師・橋本辰 桐地紋 透木釜 共箱 釜環。36◆初荷です ◆京釜師 十二代 和田美之助 南鐐摘 筒釜 ◆銅蓋 替蓋 鐶付 共箱 共布 しおり付 未使用美品。高木 治良兵衛 切子釜 多角釜 鉄釜 鐶付 共箱 茶道具。茶道具の販売|晴山 : 釜の歴史。
ご覧下さりありがとうございます。◎茶道具「人間国宝 高橋教典作 平丸窯」「金山浄雲作 唐桐鬼面風炉」野々田式炭型電熱器付き 共箱☆c2。鉄瓶 鉄窯 鉄製 龍文堂造 鉄窯③。